この場合の「アンダーグラウンド」とは「公園の隅のテントを張った芝居小屋」的な意味ではなく(ま、そんな情景でも何ら違和感はないがw)、「流行に惑わされず我が道を往く」という意味だ。
いちいちそんな勿体ぶったことを言わなくてもよいはずなんだが、彼女の名前を知っていてもその音楽をちゃんと聴いたことがある人は意外と少ないだろうから、ちょっとした「きっかけ」にでもなれば幸いだと思ってのことだ。
僕自身、彼女のアルバムへの取っかかりは、正直なところ多少「勇気」が要ったしなぁ〜
で、つべに奇跡的に遺されている彼女のドキュメンタリー・タッチのオムニバス・ライヴがこちら・・・
どうやら、これのフル・バージョンらしい。よくぞ消されなかったもんだw
ロックであれ、かなりマニアックなブルースであれ、洋楽一辺倒だった僕の目を日本語の唄に向けてくれたのは、彼女の影響が大きいかもしれない。
日本語の詩でも、それまで「本物」と信じていたオリジナルのブルースやジャズ以上に雰囲気いっぱいの世界が描けるんだ・・・
また、独自のこだわりを終生貫いた彼女は、(英語の)カバー曲に対しても「いちど原詞の意味を取り込んだうえで、曲のイメージを崩さぬように自分の言葉で再構築する」というスタンスで臨んでいたようで、この姿勢にも大きく影響を受けた気がする。
いちど「生で」そのステージを体感してみたかったんだが、それも叶わぬうちに彼女は還らぬ人となった。奇しくも、この地元でだ・・・
CDの音質に懐疑的だった彼女は生前リイシューの話をことごとく拒絶していたようだが、皮肉にも亡くなったおかげでまとまって入手が可能になったのは喜ぶべきことなのか???
そんな彼女の意向を「踏みにじる」ことになりなねないが、まさに「幻の」デビュー曲が、こちら
まぁ、よくある話なんだが、レコード会社との「音楽性の相違」で揉め、一旦は業界から離れることを余儀なくされる。「アンダーグラウンド」なイメージも、この騒動の頃に揶揄的につけられたようだ(尤も、その後、寺山修司氏の監修のもとカムバックしているので、その影響の方が大きいか?)。
彼女自身、このシングルは「(世に出たことは)否定せぬものの、アーティストとしての自分の経歴の外にある」と考えていたようだ。
ただし、B面は彼女のオリジナル曲で、かなりイイ線いってると思う。
後の「マキ節ぶし」の原型とも言えるのでは?
名古屋で亡くなりましたもんね・・・
返信削除僕もこの人は生でみたかったなぁ。雰囲気たっぷりですもんね。
この人にかろうじて対抗できるのは、山崎ハコさんくらいかな?
ちょっと違うけど。
何にしても惜しい人を亡くしましたが、「らしい」かなとも思います。
このYou Tube エエですね。またゆっくり見ようっと。
CHAMPさま
削除コメントありがとうございます。ホントにそうですよね〜!
ある意味、真にブルース的生き方をした最後の人なのかも知れません。