2013年6月19日水曜日

静寂之音(独唱)

先日『The Paul Simon Songbook』のことなど話題にしたら、急に懐かしくなり、聴きたくてたまらなくなった。


おなじみの「あの曲」が、ポール・サイモンの唄とギター、そして本人の「足音」だけで演奏される。

レコーディングの際はこれらすべてをたった1本のマイクで一発録りだったという。
まさに「何も足さない、何も引かない」 。シンプルだけど胸を打つ何かを秘めた演奏だ。

「トム&ジェリー」なんてマンガみてぇな名前で活動していた二人は「サイモン&ガーファンクル」として華々しくメジャー・デビューを飾ることになり、1963年にファースト・アルバム『水曜の朝、午前3時』を意気揚々とリリースする。

だが、二人のハーモニーをサイモンのギター1本にのせたこのアルバムはさっぱり売れず、デビュー早々このコンビは解消(すなわち、解散)の憂き目にあう。早い話が、クビだ・・・

お互いがそれぞれの道を歩むことにし、アート・ガーファンクルは大学院へ戻り、音楽への未練を棄て切れないサイモンは傷心のままひとり英国へと渡る。
もともとペンタグルバート・ヤンシュなどのブリティッシュ・ フォークに憧れていたサイモンは、ロンドンでフォーク・クラブを細々と廻って演奏を続けることにする。

すると、たまたまメディアに取り上げられることになり、それが縁で地元のマイナー・レーベルでレコーディングの機会を得る。
とはいっても、与えられた時間はわずか三日間。
もちろん「あの」デビュー・アルバムはイギリスでは発売されておらず(英国リリースは、ブレイク後の1968年)、サイモン自身も「どうせもう廃盤だ」と思っていたらしい。
録音されたのは、デビュー・アルバムの"再演"とでも言うべき初期の持ち曲やそれらのモチーフとなったレパートリーで、それまでの「思いのたけ」をぶつけるような、若く粗々しくもピュアでストレートな演奏だった。

ところが、本国アメリカでディランの「ライク・ア・ローリングストーン」のロック・サウンドがヒットしたのにあやかろうと、プロデューサーが『水曜の朝』の収録曲「サウンド・オブ・サイレンス(二人の唄とサイモンのギター1本によるテイク)に「本人たちには無断で」ロックバンドを勝手にオーバーダビングしてシングル・カットしたら、これがたちまち大ヒット!

おかげで、サイモンは急遽帰国することとなり、呼び戻されたガーファンクルと組んで「栄光への階段」を登り詰めることになる。
ま、成功した二人だからこそ(後から)言えることだろうが、まったくもって「人生どこでどう転ぶか、わからない」。

水曜の朝』のオリジナル・バージョンも素晴らしいが、ポール・サイモンひとりによるこの演奏は、なんだか特別な感慨がある。

コアなマニアさんや熱烈な狂信者ファンの方には申し訳ないが、おと〜さん自身は、S&G(正式)解散後にポール師匠が米国TVの冠バラエティー番組で見せていた戸惑いを隠せぬまま周囲からカリスマ視されて持ち上げられていた姿や、「コンドルは飛んでゆく」からのワールド・ミュージックとのコラボ・・・といえば聞こえはいいが若干「帝国主義」的な姿勢とか、手放しで「好き」とは言えない部分もある。
だが、この「幻の」ソロ・アルバムに限っては「もうこれで終わりにしよう。自分のすべてをぶつけるんだ」的な、当時の彼のプライベートかつストレートな思いが詰まっていて、素直に感動できる。

おと〜さんはガキの頃これを日本盤LPで買って以来ずっと愛聴していたんだが、ほどなく廃盤になった模様。
英国で発売されたオリジナル盤もすぐに回収されたそうで、どうやらサイモン本人の要請だったらしい。まさか日本盤が出たとは知らなくて、あとから愕然としていたようだ・・・
その後ずっとリイシューされなかったのも、本人が頑として首をタテに振らなかったかららしい。

たしかに、あの「スカボロ・フェア」の原曲とかS&Gとしての活動にはネタバレ的に具合が悪い曲もあるし、何より上記の「若気の至り」的な感情に本人自身我慢ならなかったからと思われる。
最近になってようやくリマスターCDで入手可能になったが、ほろ苦くもピュアな輝きを放つまさに「青春の1ページ」的なこの演奏に、ぜひ浸っていただきたい。


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