デビュー当初は、「ビートルズの弟分」と言われたバッド・フィンガーの曲。
決して順風満帆とはいえず、数奇な運命をたどったバンドであるが・・・
なぜこの曲を?というと、間奏部分のちょっと不思議な日本語のナレーション。
誰の声かというと、あのサディスティック・ミカ・バンドで「タイムマシンにおねがい」していた人、加藤和彦氏の前夫人・ミカさんに他ならない!
このスポークン・ワーズにインスパイアされて、自分のアルバムにも彼女をぜひ起用したがったのが、誰あろうデヴィッド・ボウィーだという。
結局、本人の起用は叶わなかったが、別な日本人女性を迎えて出来上がったのがこの曲。
おと〜さん的にはタイムリーに体験したボウィーのアルバムで、特別な思い入れのあるナンバー。
エキセントリックなギターは、キング・クリムゾンのロバート・フリップ氏。
プロデュースはブライアン・イーノではないが、当時の音楽誌には「レコーディングには立ち会っていた」との記述があったように記憶する。
それにしても、世界(の大物バンド)を股にかけた(?)ミカさんのバイタリティはすごい!
おと〜さん自身フォークルにさほど原体験がないことと、何といっても加藤氏がああいうことになってしまったんで、なんとなく外堀を埋める書きかたになってしまったが、こうして見ると、案外昔から「音楽に国境はなかった」んだなぁと気づかされる・・・
加藤和彦氏の60~70年代初頭の日本の若者風俗、文化への貢献度は
返信削除本当に大きいと思います。
彼がいなかったら、音楽もファッションも今とは違っていたか、
もしくは数年遅れていたと思いますね。
元々ボンボンですが、ヨッパライで稼いだお金持ってアメリカ、ヨーロッパを放浪し、
小さな箱でのライブしか頭になかった当時のロック、フォークミュージッシャンたちに、
大きな場所でのライブの概念を与え、同時に仕入れてきたPA機器などを無償で貸し与えたという話です。
その恩恵に随分あずかったと拓郎、泉谷が話してました。拓郎なんてトレードマークのJ-45ももらったんですからね。
CSN&Yがウッドストックで使って有名になったD-45も、日本に入った最初の1本は彼のものでした。そのギターは楽器屋で実際に見たことあります。
ちなみに2本目、3本目はガロ、4本目は石川鷹彦大先生がお使いです。
何書いてるか分からなくなりましたが、とにかく日本の音楽シーンにとって偉大な恩人だったと思います。
CHAMPさま
削除ロック・フォーク創世記の人たちはみなエエトコの子たちでしたからねぇ。
元々「ちゃんとした」彼らがしっかりと道を開いてくださったからこそ、あとに続くえ〜かげんな連中たち?が楽しく不自由なくやれるのかなと・・・
ロックでいえば成毛滋さんかな?
奇しくもお二人は同い年でした・・・