2014年2月2日日曜日

So What?

昨日、長ったらしいエントリをしたにもかかわらず、さらに追い打ちを・・・

例のジャズ評論家N山氏が日本語版を監修された『マイルス・デイビス自叙伝』は、いろんな意味で実に痛快な読み物だった。
その中でマイルズはあの「カインド・オブ・ブルー」のレコーディング・セッションについて「失敗だった」と述べていたのが印象深い。
俺だって(このアルバムが:猫註)好きなことは好きだ。だが、'All Blues'と'So What'で俺がやろうとしたことは、完全な失敗だった・・・
こうは言ってもマイルズのことだから、そのまま受け取るべきではなかろう。

あくまでも僕の憶測に過ぎないが、レコーディングに入る前までマイルズが想定していた「So What」は、もっとアップテンポで小気味よいアレンジだったのではないか?

コルトレーン退団前のヨーロッパ公演の音源と思われるが確認できず。
退団寸前のコルトレーンはすでに「フリー」なことをやり始めていて、
いい意味で破綻しているのだが、この演奏は比較的キレイにまとまっている。

ところがフタを開けてみれば、集まったのは知的で繊細なハイレベルのメンツばかり。
そのおかげでテンポをぐっと落とした静的なアレンジの「奇跡の完成度」に帰結したわけだが、作曲者のマイルズからすればそれはある意味、あくまでも「偶然の産物」。
結果的に、当初思い描いていた目論見とは大きく外れてしまったなぁ〜、ということではないか?
もちろん、このアルバムの「偉業」を彼自身が否定する訳はなかろう・・・

上の音源のように、ライヴでの演奏となると一様にアップテンポなのがひとつの根拠なのだが、それが「引き金」となったかどうかは知らないが、これ以後彼らのステージでのレパートリーは、同じセットリストを固持し続ける反面、それぞれの曲のスピードがどんどんブッ速くなっていく。

実はコレが僕のいちばん好きな「So What」だったりする。この「疾風怒濤」感が凄い!

前述の『自叙伝』では、「若いメンバーは新曲をやりたがったが、客はいつも馴染みのナンバーを聴きたがったために、苦肉の策だった」みたいなことを言っていたが、誰あろうマイルズのこと、自分がやりたいと思えばレコーディングすらしていない曲でも周囲の反対を押し切って平気で演奏しただろう。
ひとつの「方法論」として、マイルズがわざと自らに課した「枷かせ」だったのではないかと、僕はにらんでいる。

そして、その「方法論」を後継者として極限まで突き詰めたのが、ジョン・コルトレーンだったと言えるのではないか?

3分ほど経ったのちに、やっとあのテーマが聴ける。
本来はこの前に15分ぐらい(!)延々と「ベースソロ」があるのだw
体力ある方は後半▼もどうぞwww


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