2014年2月9日日曜日

ずたぼろヘアー

スネオヘアーではない(滑)
おやじギャグにもならん下らんシャレのくせに、当のアタシはずっと剃髪www

アタシもそうだがカバー曲を演奏される皆さん、選曲はどうやって決めてますか?
ただ単に大好きな曲を選ぶ? 自分のテクニックを活かせる曲を探す? どうしてもやりたい曲が弾けるようになるまで猛練習する?
…まぁ、曲ごとに事情は一様でなかろうがw

先月のアコースティックセッションがハネたあと、シローズさんとM田さんと話に花を咲かせてたとき、「実はサイモン&ガーファンクルがボクのルーツなんです」と抱えたギターを爪弾くM田氏。
その翌週だったかに観に行ったゴンチチさんのライブでも、「それでは次は皆さん良くご存知のスタンダード・タイムで~す」と始まったのが、どちらもこの曲だった。


何かの兆しだったのか無意識に刷り込まれたのか、手慰みにウクレレ触ってたら、知らないうちに弾けるようになってた。

スカボロー・フェア(Scarborough Fair)」はサイモン&ガーファンクル(ポール・サイモン)のオリジナルと思っている方もいるかもしれないが、元は英国のトラディショナルなバラッド。起源をたどれば中世末期にまで遡るという。

ポール・サイモンの「元ネタ」となったのは、実はこのお方の演奏だったらしい

高石ともや氏の訳詞による演奏は原詞を忠実に反映しつつ中世っぽい雰囲気をうまく醸し出している

スカボロー(スカーバラ)はイングランド北部、現在のノース・ヨークシャー州にある北海沿岸の街。この街で夏から秋にかけて開かれる大きな交易市が「スカーバラの市」だそうだ。

原詞はどうやらイギリス人にも難解至極であるらしく、いまだに決定的な解釈に至ってないらしい。

ネットで拾った一つの解釈。
どうやら霊魂だけの存在である若者(?)が、押し黙った主人公に訴える。「スカーバラの市に行ったらさ、あぁしてこぅして…」と、実行不能な難題を昔の恋人に頼んでくれと。
それを実現してもらうことができれば、彼女と再び結ばれることができるらしい。だがそれらの願い事は絶対に実現不可能 → 結ばれるはずもない → 何故なら彼はもう「この世の人ではない」のだから…
話しかけられた主人公は(返事をすると自分も不帰の者となってしまうため)、ひたすら「パセリ、セージ、ローズマリーにタイム」と魔除けのまじないを唱え続ける…
そんなシチュエーションらしい。

この詩を詠っているのが中世の吟遊詩人ならば、厚かましい(?)幽霊と寡黙な主人公の2人の登場人物の他にスカーバラ在住のまだ見ぬ元恋人の計3人がいて、それを伝える詩人の「もうひとつの目」が存在することになる(一人称の詩と捉えれば、主人公=語り部か?)

また一説には、恋人たちがナンセンスで無邪気な会話の掛け合いをしながら、仲睦まじくジャレ合っている光景、とも解されるようだ。
この場合の「パセリ、セージ…」は、「そんなこともあるかもねぇ~」「さのよいよい(?)」程度の「いなし言葉」あるいは「合いの手」的なものか?

だいたい、この「パセリ、セージ…」すら、英国人でさえも意味不明なんだとか。
ある伝承歌の一節にある「Every rose springs merry in't' time. (どのバラも季節になれば楽しく芽を出す=誰だって年頃になれば恋が芽生える)」という警句が、言葉遊びのように順を追って転化した(ものを引用した)のでは?とも考えられているようだ。

ところで、S&G版は正しくは「スカボロー・フェア/詠唱(Canticle)」というタイトルだ。ポール・サイモンのペンによる「詠唱(Canticle)」のパッセージが原曲に絡み、「もう一つの視点」がさらに加えられているわけだ。
その「詠唱」の部分の原型は、サイモンが若い頃イギリスで録音した「幻のソロ・アルバム」に収録されていた「The Side of a Hill」という曲。

S&Gはデビュー直後さっぱり売れずそのまま一旦解散。
夢を棄て切れないサイモンは傷心のままイギリスへ渡り
自主制作したのがこの盤。長らく「封印」されていた

それこそ中世風の美しいバラードだが、ベトナム戦争をモチーフにした反戦歌なのだそうだ。
こんな美しい歌を保古にしてまで、どうして「スカボロー・フェア」に改作して編み込んだのか長らく疑問に思っていたのだが、例の霊魂となった若者に「戦争の犠牲」という当時ならではの世相を重ねる「紡ぎ糸」の一本にしようとしたのだろう。

…などとあれこれこの曲の背景を読み解きつつカウンター・メロディや「詠唱」のフレーズなども何とか盛り込めんもんかとあれやこれや試行錯誤するうちどんどん深みにハマってしまい、結局爆死寸前orz


さらに、おまけ
ううう…美しい〜

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