2014年2月10日月曜日

売りたくても売れない莫迦、担いだ莫迦、被害者面する莫迦

昨今TVのワイドショーを騒がせてる贋作騒ぎ

あらかじめ言っておくが、私はそれまで例の作曲家について何も知らず、今に至るまで作品も聴いたことがない。
また、名乗り出た贋作者なる人物についても同様で、共にWikipediaを斜め読みした程度の知識しかない。
要は、ただの無責任な「ガヤ」だ。

念のため、それすら我慢ならない方は、早々にご退出いただきたい。

それにしても、CDの販売や放映など一切を「自粛」してしまうのは、あまりに「日本的」な処遇ではないか?
こんな「うってつけ」なプロモーションはないのに・・・

甚だ不謹慎な持論だが、私は常々「“死”は絶好のプロモーション」と思っている。
今回は、ひょっとしたらそれをはるかに凌ぐ「絶好の機会」かも知れないのに。
もちろん、印税等の権利関係は大いにネックだろう。ただし、そんなもん「後からの分配」を当事者感で殴り合って決めれば済むことではないか?
レコード会社は、内心地団駄踏んでいることだろうwww

私は別に、例の作曲家の「人となり」や本当に聴覚を失っているかどうかには、全く興味はない。
もし聞こえているなら、現実的には「福祉関係」のペナルティが付いて回るだろうが、そんなことはあくまでも作曲家本人のことだから、周囲がどうこう言うことでもなかろう。脱税した芸能人をTVで見てるのと何ら変わりはない。

かといって別に彼を擁護するつもりはないのだが、贋作者の告発が「100%真実か」だって当てになるものか。
外見の身体的特徴で人を悪く言ってはいかんが、記者会見を一目見て「こいつも信用ならんな」と思ったのは私だけではあるまい。

それにしても、今までその作品を褒めそやし持ち上げてきた評論家共と、それにつられた視聴者やリスナー、ファンはいい面の皮だ。

耳が聞こえない人間の作品だから価値を認めていたのに」という評論家もいるそうだが、ハッキリ言って私以上の差別的暴言だと思うw
聴覚に限っても、多かれ少なかれ障害を持つ演奏家・作曲家は現在でもざらにいる。
「0ゼロかそれ以上か」が問題なのではなく、その演奏を聴いてその時の障害の程度や病状の進行度が、貴方に推し量れますか?
極論だが、かのベートーヴェンの作品を聴いて、その時の彼の聴覚が「何割」だったか判るのですか?
「騙された(?)照れ隠し」に反動で貶めるのは、己れの浅はかさ・鈍愚さを露わにするだけだ。

リスナーやファンも同様で、もちろん「煽動された」のはある程度割り引くにしても、手のひら返して「騙された」「ただのパクリじゃないか」などと、犯罪者扱いするのはフェアじゃない。今までは、有り難がって(?)聴いてたんだろ?
好きじゃない、認められない、判らないなら、周囲がどう言おうと予めそう言っておけ。本当に好き、あるいは素晴らしい作品だと思うなら、何があろうとずっとそう言い続けるべき、ってことだ。

ま、聴いてない私が言えた義理ではないが、障害を持つ別の作曲家の作品を聴かされたとき「障害の有る無しに関わらず、好きな作風ではない。もしくは、先達の作品の模倣としか思えず、それを現代の楽器編成で再現する意図も判らず、要は、判らない」と言い切った経験がある。
薦めて聴かせてきた連中が、「どう?何らかのチカラを感じるでしょ?」的な期待を持ってるのが見え見えで、それに鼻持ちならなかっただけかもしれんが。

とはいえ、誰がどんな経緯で作ったかはともかく、「作品」は「作品」として、すでに世に出ているのだ。
仮に例の作曲家が大山師であったとして、本当に世間を欺くつもりで作品をプロデュースしたとしたら、それはそれで大した仕事ではないか。

「指示書」なるものまで暴露されているようだが、あれで作品が成立するとは到底思えないものの、作品の「骨格」「ダイアグラム」としてはすこぶる緻密で、その「指示書」を元に具体的にどういう作業がどの程度の期間で贋作者との間に行なわれたのか、私の興味はまさにそれに尽きる。
聴覚の有る無し、音楽的素養の有る無しに関わらず、例の作曲家にモチーフがまったく無いところから仮にもひとつの作品を作り上げたのだとしたら、それこそ気の遠くなるようなやり取りと膨大な時間が必要だろう。
本当に彼が大馬鹿野郎で、逐一チェックもしない(出来ない)贋作者の手柄を金で買うぐらいの喰わせ者ならそれはそれで大したものだが、十数年にわたって世間をごまかせるほど甘くはあるまい(甘かったりしてwww)

あくまでも、あくまでも個人の無責任な戯言だが、願わくば作品は作品として活かしてやって、むしろそのプロセスを追求するほうが、音楽的にも学究的(?)にも価値がある話だと思う。
クレジットなんか「共作」にしちまえばいいだろ、所詮私らに利害ある話じゃなしwww

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