2013年4月20日土曜日

夜の魔法は囁きと静寂の如く柔らかな月の光は頬を照らす

いささか場違いなタイトルは、ヴァン・モリソンの名曲『Moondance』のサビの一節。


おと〜さん的には、初めてこの曲を知ったのはこのカヴァーだった。
今となっては懐かしい「時代」の匂いがする・・・

珈琲の修行をしていたころ、折しも「アシッド・ジャズ」ブームとかで「ジャズで踊る」なんて言われはじめた時代。大いなる田舎・名古屋のガキ共はまだ「踊る」といえばレゲエしか頭に無かったころだったwww

働いていた店は小粋なジャズが似合うスタイリッシュな構えであったが、周囲が買いかぶるほどお洒落なイメージはなかった。
だが、この手の音楽もよくマッチしていた。ま、持ち込んだこちらの自己満足込みだが・・・

今から思えば、ジャズがリアルタイムで面白いと感じた唯一の時代だったかもしれない。

ちょっと後になるとアホ面下げたガキたちが猫も杓子も「ジャズって、かっこいいよね」「アタシ、ジャズ系好きなんだぁ」と言うようになって、「テメェらにはもったいないわぁ、クソターケ!」と思うようになるのだが、考えてみれば、ジャズってもともとそんな音楽だった訳だからなぁ・・・


2 件のコメント:

  1. 二代目・高橋竹山さんの演奏を初めて聴いたとき、演奏技術云々はもちろん、その音の重さや深さに圧倒され、鳥肌立つわ泣けてくるわで大変でした。
    見たことも行ったこともないのに、昔の貧しくて厳しい津軽の風景が見えるような気がしたんでやんす。心の底から凄いと思った。
    二代目でこうだから、その時代に生きた初代の音はどうなんだ? とも思った。

    そして同時に感じたのは、「こりゃ丸っきりブルースだし、ジャズの原点のようなもんじゃないのか?」ということでした。
    ジャズもブルースも、元々は人種差別に苦しむ黒人の魂の叫びだったと思うんですよね。
    それが音楽のジャンルとして認知され、広まるにつれて、オシャレになったり形を変えたりしながら今に繋がっているんだと思う。

    もちろんオシャレな音楽として楽しむのもアリだけど、竹山さんを聞いた時に感じたような「魂を鷲掴みにされる」ような説得力は、原点にこそあると思うのです。

    何を書きたいのか分からなくなったけど、クソターケから脱するには、その音楽の原点を知ることって大事なことじゃないかと。。。
    オシャレってことだけで女を口説くのにジャズを使ってる奴は、やっぱりクソターケだと思う訳なんです・・・、ってなんのこっちゃ。

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    1. CHAMPさま
      そ〜なんですよね〜、近頃じゃ郊外の中途半端なローカル・ファミレスとか店内の雰囲気そっちのけでなぜかジャズかかってたりして、それがかえってクソな店のバロメーター化してますもんね。しかもそれが有線のモダンジャズ・チャンネルばればれだったり、「初めてのジャズ」的なコンピ盤そうろうで(苦笑)もんですわ。
      私が修行してた店は一介の珈琲店にも関わらず、ジャズ喫茶真っ青な通好みのマニア盤がガンガンフューチャーされ、しかもそれが店の空気にピッタリハマってしまうという希有な場所でした。ま、セレクトしてたクソ野郎のおかげですけどwww
      私は二代目竹山さんがいつもステージのラストに聴かせてくれる即興演奏が大好きです。津軽の伝統と言い尽くせないぐらいの修行の果てに培ったものだけでなく、現代を生きる彼女が吸い込んだすべてが融合されているから。あるときはジャズであり、あるときはブルースであり、ハードロックでありニューエイジであり、へたすると(西洋の)クラシックやバロックに聴こえるときもあります。
      あまり言ってはいけないが、初代にはああいう演奏はできなかったかも?

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