筒井康隆氏が以前何かのエッセイで、文学でいう「滅茶苦茶」について述べておられた。
「計算された滅茶苦茶は滅茶苦茶とはいえなくなってしまうが、支離滅裂であまりに滅茶苦茶な内容では意味をなさない」というような論旨で、例えに挙げられたのが「推理小説で犯人が最後まで分からなくて、ついには登場人物でさえ “滅茶苦茶だ” とつぶやいてしまう」とか「このことは改めて後述する、と書いておきながら最後まで触れずに終わる」とか、そんなような内容だったと記憶する。
先日、同居人様が友人の「結婚式の二次会」に誘われた。同居人様は出てあげたいと言うが同行者がいないので、縁もゆかりもない私が同伴することになった。形だけでも祝いの品は用意せにゃならんし、二人分で家計にはイタいがやむを得まい・・・と。
結婚式の二次会が「着座式のコース料理」というので若干不審に思ったが、会場へ着いてみるとそこはいわゆる「イタリアン居酒屋」。ひとテーブルごとに大皿盛りの宴会料理が雑然と出てくるという看板にナントカの、まことに首をひねる趣向であった。
さらに斬新なことに、受付のとき入口で1人1枚ビンゴカードが配られたのだが、いつまでたってもビンゴゲームが始まらない。
どうやら「二次会」と「友人向けの披露パーティー」をはきちがえているようで、いい大人のくせに精神年齢が低そうな「友人一同」が向こうの方で内輪で盛り上がっているなぁと思ってたら、気がつけばそのままお開きとなっていた。
ビンゴカードを配っておいてゲームをせずに終わるとは、意表を突くにもほどがある。
・・・解
げせん、滅茶苦茶だ。