2015年4月9日木曜日

ありがとう!!!

この「完全版」を待っとっただよぉ、うp主様ぁ〜!

消される前に必見じゃあ!!


ビッグ・バンドの代名詞と言ってもいい「カウント・ベイシー・オーケストラ」。
もう一方の雄であるデューク・エリントンとともにビッグ・バンドの双璧を築いたわけだが、作曲や緻密なアレンジが後の音楽家から評価の高いエリントン卿に比して、ブルース・ベースのアドリヴとノリ一発を信条とするベイシー・スタイルはややもすると稚拙な扱いを受けがちなのであるが・・・

そのベイシー翁も1984年に惜しまれつつ逝去し、あとを託されたのは元・花形楽団員であり、バンドリーダー・アレンジャーの名声も高かったサッド・ジョーンズ
カリスマを喪った直後の1985年来日公演は、みんな「おぃ、大丈夫なんかぁ?」とハラハラしながら見守っていたのだが、その心配を見事に払拭してくれた!

指揮を執るジョーンズのかっこよさ。バンドの「必需品」、フレディ・グリーンのギター。「間のピアノスタイル」として有名だった翁の穴埋めはいかにも大変だったろうに、その大役を見事にやってのけた後釜ピアニスト、ティー・カーソン。そして躍動感あふれるリズム隊とソロ&アンサンブルを華麗にキメる猛者たち・・・
これに心躍らずして、な〜にがジャズだ、な〜にがアレンジだ、な〜にがアンサンブルだ!

おそらくとうの昔に廃盤になっているレーザーディスク(!)からの落としと思われるが、ラストのアンコール曲「パリの四月」は、涙無しでは観れない。わしなどはそれまでに何度となくウルウルしちゃうのだが、ラス前のおなじみクロージング・テーマ「ワン・オ・クロック・ジャンプ」でベイシー翁の「遺影」が降りてくるところで、ダメ押し。アンコールの途中で拍手歓声とともにフレディ・グリーンが遅れてステージに現れると、もう自分を抑えることが出来ない。そして、最後の最後の有名なリフレインで悶死・・・という塩梅。

これで大丈夫なんだ、まだまだやれるんだ。いや、ひょっとして新しい何かが始まるかも?」と、これを目にしたみんな思ったに違いない。
ところが、運命とは皮肉なもの。すでに病魔に身体を蝕まれていたサッド・ジョーンズはこの翌年、あっけなく他界してしまう・・・
三代目リーダーを引き継いだ楽団時代のチームメイト、フランク・フォスターも既にこの世にはなく、フランクが率いた次の1987年来日公演(ヴォーカリストにダイアン・シュアを擁した)では一身にバンドの「伝統と看板」を背負っていたギタリスト、フレディ・グリーンも帰米後ほどなくして死去。
まさに「つわものどもが夢の跡」・・・合掌。

だけど、残されたこの映像は決して色褪せることなく、あの時の感動と希望を間違いなく収めてくれている。
翁は居らずとも、ベイシー・オーケストラのまさに名演なのだ。も一度言うぞ、必見

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