- まず、サビで曲のタイトルを連呼するという、ヘヴィメタ並みの下品さが鼻持ちならない。「オマエはジューダス・プリーストかよっっ!」と突っ込みたくなる。
- しかも、連呼する言葉が "Hallelujah" だもんだから、特定の宗教団体や某秘密結社を想起させるような安直さにゲンナリする。
- とはいえ、そのメロディーは天上の宝石のように美しい。だがしかし、誰が歌っても、メロディーライン通りになぞれば、そこそこ上手く感動的に聞こえるような気にさせてしまう。聴き手どころか歌い手自身さえも・・・その「あざとさ」が、かえってイヤラシい。
- そのくせ、いざアレンジするとなると、意外とヤリくちが限定されてしまう(いわゆる、ONE-WAY)。"Let It Be" や "Imagine" みたいなもんだ。他にひねりようがなく、誰が演っても同じに聴こえる。イントロの3連アルペジオが始まると、虫唾が走る。
- おまけに、ただ "Hallelujah" という言葉のイメージだけで、全編が「癒しの歌」「救いの歌」「元気をくれる歌」だと勘違いする輩ばかりの似非ポジティヴな脳天気さに、よけい肚が立つ。ブルース "The Boss" スプリングスティーンのご存知 "Born in the USA" が、お気楽な「アメリカ賛歌」だと真逆に誤解された有名な逸話に匹敵するアホさ加減。
1と2は、まぁ子供じみた理由で、いわば「食わず嫌い」的なものだw。
ところが、3と4は「演る側」にとっては、ちと問題だ。
ジョン・ケイルやジェフ・バックリィを筆頭にあまたの名演カヴァーがあるが、それはアーティストの力量もさることながら、単純に「曲がいいから」ではないのか?
語弊を恐れずに言えば、「恋のアランフェス(アランフェス協奏曲)」や「枯葉」を誰が演奏しても、なんとなくロマンティックに聴こえちゃうのと一緒だ。
演る以上は自分たちのオリジナリティを盛り込んだりフェイク(崩す)したいものだが、誰もがこの原曲の「呪縛」からは逃れられない。
結果的に、"Hallelujah" をいちばん個性的に自由にブロークンに演れるのは原作者レナード・コーエンの他にいない、というお粗末。
5は、ある意味しゃあないと思う。元の歌詞があまりにもシニカルで説明的で象徴的だから。
仮に母国語だとしても、クソ難解なんぢゃねぇかw?
かく申す私も英語は苦手だから、辞書を引き引き多くの他サイト様を参考にさせて頂いて意味を汲み取ろうとしたが、いまだに割り切れない感が残っている。
ただ思うのは、この曲が手放しでストレートな「神への賛歌」ではない、ということ。
だからといって、もちろん『悪魔を憐れむ歌』などではないのだが、この "Hallelujah" という言葉(または旋律)が持つ「神性」を心の奥底で誰よりも理解し信じていながらも(あるいは、そうだからこそ)、平然と
- でも、君はさほど音楽には関心がないんでしょ?
- 愛というのは凱旋行進曲などではなく、冷めた偽りの“ハレルヤ”でしかないんだよ
- 全ての言葉にまばゆい煌めきがあるというなら、君が耳にしたその“ハレルヤ”が真実だろうが偽りだろうが、同じことでしょ?
そして、最後の最後に
- 僕は“ハレルヤ”だけ唱えながら、歌の神様の御前に立つんだ
そう考えると、まんざらキライな曲でもないかwww
いちばん好きなバージョン
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