2015年10月5日月曜日

きょうは一人称が違う

YouTubeで何かを探そうあるいは調べようとして関連動画をたぐって行くと、予期せぬ「森」に足を踏み入れてしまうことがある。
これを俺は「しばらく旅に出る」と表現している。
思いもよらぬ時間を食って睡眠時間等々に思いもよらぬ影響が出るのはさておき、えてして楽しい深夜の小旅行になることが多い・・・なんて格好つけてる場合でもないがwww

ゆうべは、どういうわけだかジャズのフルアルバムばかり次々に出てきた。
俺にとっては、タイムスリップするような音ばかりだ。

そのころ俺は珈琲屋で修行していて、いちおうひとかどの「焙煎職人」を目指していた。
勤めていた店は繁華街のど真ん中にあり、一枚板の長いカウンターがあって照明を落として、まるでスタンドバーのような今から思えば旧き佳きバブルな空間だった。

仕事はキツかったが、それまでの会社勤めがあまりにも非人道的だったため、定時で終われて夕方の地下街を闊歩できるなんて夢のようで、それだけでウキウキしていた。
もともと独立自営を目指して入店したくせに、店を出てから繁華街をうろつくのが大の楽しみ、というより日課で、いくつかのCDショップを巡回してイカしたTシャツがぶら下がってるブティックを冷やかしてから、パチンコ屋で沈没するかゲーセンのピンボール・マシンで閉店まで粘る、という「やさぐれた」毎日だった。

入り浸っていたパチンコ屋は出玉よりも景品が一風変わっていて、月末にはCDコーナーにモダンジャズの新譜が必ず並ぶのだ。ポップスや歌謡曲は大した物がなかったから、よっぽど偏屈な趣味の店員がいたのか、出入りの業者が目を盗んで洒落でやっていたのだろうか。
パチンコはそんなに上手くなかったが、儲かればどうせCD買うんだし景品でもらった方が少しでも効率いいから、それを口実(?)に夜な夜な通っては、運がいい日は片手で持てないぐらいのジャズのCDを手にして、翌日店に持ち込んでせっせとかけていた。

今でこそBGMにジャズを流す飲食店はくっさるほどあって、どこも判で押したようなありきたりな音源ばかりで食傷してしまうのだが、俺と当時の相方(同僚)は音も店のイメージのうちと考えていて、もちろん自分たちそれぞれの一方的な思い入れなんだが、結果としてジャズ喫茶真っ青の「ハイブロウ」なジャズばかり昼間から流れていた。


相方が雲隠れしてからほとんど俺一人で店のBGMを持ち込んでいたんだが、独立準備のため店を辞めることにしたときマスターに「退職金代わりに少しでも買い上げてくださいよぉ」と段ボール一杯のCDを押し付けるなどと、やさぐれた真似をしたもんだ。
でも嫌な顔一つせず、「おぉ、イイのあるじゃん」と言って引き取ってくれたマスターには感謝してる(美談になってないwww)

その「景品のいい」パチンコ屋が休みの日は、別のどってことないパチンコ屋でやはり粘って、ちょっと儲けがあると店で着るTシャツか、趣味と実益を兼ねたコーヒーカップを買うのが常だった。
そんなわけで、店を辞めてから各地の名店を巡って勉強させてもらっているとき、オフクロが俺に言ったのは、「アンタ、あの店で三年間働いて何が残ったの? CDとTシャツとカップだけじゃない。バッカだねぇwww」

意外とそのころのことは覚えていないもんだが、音を聴くと記憶が鮮明に蘇ってくるから不思議だ。
彩度が落ち気味だが妙に甘酸っぱい、俺にとっては懐かしい思い出だ。

2 件のコメント:

  1. すばらしい
    やってきたことがすばらしい、
    じゃなく、
    文章そのものが
    すばらしい

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  2. ハチさま
    こんな過疎ブログへようこそ
    そして、コメントありがとうございます
    お褒めに値するかどうか甚だ疑問ですが
    たまに遊びに来てくださいませ

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