自分にとっては高価だったLP盤も、クラシックなら父親が許せば買ってもらえた。
まぁ、「わしが買うからお前にも聴かせて(貸して)やる」的な建前だったがwww
だけど、いくらクラシックでも「キワモノ」「色物」の類いは、許可が下りなかった。
それが何かというと、ウォルター(改め、ウェンディ)・カーロスのシンセサイザー、グレン・グールド、そしてアンソニー・ニューマンだった。
ちなみにこのお三方、当時「CBSソニー」クラシック部門の「ニュー・クラシック御三家」的な扱われ方だったように記憶する。なんと大雑把な・・・
W・カーロスの『スィッチト・オン・バッハ』は「電子音は音楽ではない」という理由。
グールドは「ピアノでバッハを弾いたところで本物であるはずもない」。
アンソニー・ニューマンに至っては「何をやる奴か、まったく得体が知れない」というような他愛もない理由だったような気がする。
別に親父が厳格で頭が固かったわけではなく、当時の世評というか風潮がそんなもんだったのだ。
余談ながら、シンセサイザー奏者でも「世界のトミタ」冨田勲については何も言わなかった気がするが、僕自身がまだよく分かってなくて話題にするのを避けていただけかもしれない。
で、そのアンソニー・ニューマン、チェンバロでバッハを「新解釈」で弾き、当時まだ一般的ではなかった古楽器演奏に対する造詣も深く、かと思えばワグナーの管弦楽曲を教会の大オルガンでスペクタクルに弾きまくる。
そりゃ、わけわからんわな。いわゆる「鬼才」といわれた人だ。
彼の日本でのデビュー盤となったのが『ゴールドベルク変奏曲』。全曲うpしてくだすった奇特な方に感謝。
おかげで僕も初めて通して聴くことができたのだが、一聴して分かるようにきわめてオーソドックスでありながら、一筋縄でいかないリリカルさを秘めている。だが、感覚的というよりは、時代考証とかもひとしきりちゃんとやったうえで自信を持っての確信犯的な結果であるように聴こえる。
その点では、行きつく先は180度違うものの、グールドと相通じる姿勢がたしかにあるのかもしれない。ま、それこそ、現在だからそう言えることなのだが・・・
70年代中盤以降は表舞台から姿を消したように思われがちなアンソニー・ニューマンだが、いまでもばりばり現役で学究肌の演奏は健在。また、作曲家としても多く活動している。
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