それは、単に「パブロつながり」とか、スペイン・カタルーニャに縁があったから(ピカソはアンダルシア生まれだが)だけではなく、「情念」あるいは「執念」もっと下卑て言えば「尽きない精力」みたいなものを感じるからか。二人とも長命だったし。
日本人でいえば、初代の高橋竹山さんかなぁ・・・
バッハの「無伴奏チェロ組曲」というあまりにも有名な6曲があるのだが、カザルスが見いだして光を当てるまでは、単なるつまらない練習曲集ぐらいにしか思われず、約2世紀ものあいだ忘れ去られていたという。
私たちは港のそばの古い楽譜屋に立ち寄った。私は楽譜の束をめくりはじめた。ふいに、時の流れに黄ばみ、ふれるとぼろぼろになりそうな一束の楽譜がでてきた。ヨーハン・セバスティアン・バッハの無伴奏組曲だった─チェロだけの曲だよ! びっくりして目をみはった。『チェロ独奏のための六つの組曲』だって? このタイトルの裏にはどんな魔法と神秘が隠れているんだろう? こんな組曲があるなんて、聞いたこともなかった。誰一人、私たちの先生ですら口にもしたことのないタイトルだ。私は、なぜその店にいるのかということも忘れてしまった。ただただ、いいまにも崩れそうなページを見つめ、そっとふれるばかりだった。あの時の情景はいつまでも色あせることはない。あの作品のタイトルページを見るたびに、かすかに海の匂いのする、あのかび臭い古い楽譜屋に引き戻される。
『鳥の歌』(ジュリアン・ロイド・ウエッバー編/二次引用)
まるで映画のようなワンシーン。このとき、カザルスはまだほんの10代半ばだったらしい。そして、10年以上の歳月をかけて研鑽を重ね、20代後半になってようやく公衆の面前で演奏をおこなって世間の度肝を抜いたとのこと。
こういう「伝説」には誇張や尾ひれが付きもので、その譜面を手にしたのがカザルスだけだったとは考えにくいのだが、それまでほとんど脚光を浴びてなかったのは間違いなかろうし、この作品をクローズアップして世に知らしめたパイオニアとしての功績は決して色あせるものではない。
それにしても、ある程度の脚色はあったとしても、これだけの作品を10代のころに手に入れたまま、自分で披露する「その日」を目標に孤独な練習に黙々と励むなんざ、やはり並み並みならぬ執念だ。
今日、媒体として我々が聴ける演奏は、1930年代にSPレコード(78回転)に刻まれた音源を復刻したものだ。
たしかに、昨今からすれば旧いスタイルであるのだが、とにかく「無伴奏チェロ」といえばこれ!という、有無を言わさぬものがある。
蓄音機のノイズが聞こえただけで拙い演奏呼ばわりする馬鹿なにわかファンは論外であるが、誰であれカザルス以降にこの曲を演奏する者は、手本としようが反面教師としようが、彼の恩恵に与っていると言って過言ではない。それだけの敬意を払っても余りある演奏なのだ。
この流れで最後に引用するのはクィケン氏に対しても失礼な気もするが、
最新のスタイルによる無伴奏チェロ。「いちばん新しいものはいちばん
古いものである」というパラドックスが、楽器によくあらわれている。
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